菊一文字菊一文字とは何をさすのかわかりませんでした。日本刀のことなのですね。とても立派で切れ味のよさそうな印象を受ける名前です。後世にこうしてその名を残しているのですからよほどの名刀といえるでしょう。現在でも菊一文字の名前を名乗っている会社がありますが、どういう関わりがあったのでしょうか。これから紐解いていきます。 |
菊一文字とは菊一文字は正式には「菊一文字則宗」といい、日本刀の総称で鎌倉時代に後鳥羽上皇が備前国の刀工で一文字派の祖でもある一文字則宗に打たせたことからきています。則宗は御番鍛冶を務めたのを理由に後鳥羽上皇が取り決めた皇位の紋でもある16枚の弁を持つ菊の紋を銘に入れることを許可しました。しかし現在ある則宗の刀には菊の紋で銘は切られていません。則宗が打った刀に菊一文字の銘が切られていないのに、なぜこうして後世まで伝説のように菊一文字という言葉が残っているのでしょうか。菊一文字は正宗と並ぶ名刀とされています。 日本刀の歴史名刀と代表される正宗や菊一文字。時代劇にはかかせない日本刀ですが、以外とその歴史は知られていません。日本刀がはじめてわが国に登場したのは1000年以上前のことです。現在のような形になったのは平安時代の終わりごろだといわれています。それまでの日本刀は直刀と呼ばれ、まっすぐで反りのないものでした。鎌倉時代に入ると日本刀は深い反りのある太刀へと変化していきます。室町時代の中頃になると打刀と呼ばれる反りの浅いものが主流となります。その中でも名刀と呼ばれる日本刀は武将への贈り物などとして使われるようになり、大変価値のある美術品でもありました。江戸時代になると世の中も平和になり、日本刀は武器ではなく美術品としての扱いが多くなりました。江戸時代に作られた日本刀は形も刃も美しいものがとても多く残されています。明治時代には武家社会の終焉を迎え、廃刀令が出され日本刀の製作も禁止されました。これにより日本刀の全盛期も終わりをつげますが現在では日本の伝統工芸品として多くの刀工により今でも作り続けられています。 国宝級の菊一文字幕末期には菊一文字は国宝級の扱いを受けていました。それほどの名刀といわれていたのです。新撰組の沖田総司が持っていたとの諸説がありますが、これはおそらく間違いでしょう。あまりにも高価な刀で沖田には手が出せる代物ではなかったはずです。司馬遼太郎の小説の中で沖田総司に、この菊一文字を使わせていたことからこのような説がでたのでしょうが、永遠のアイドル沖田総司に菊一文字はきっと似合っていたに違いありません。司馬遼太郎も小説の中にしばしば日本刀を登場させますが、もしかしたら菊一文字のファンだったのかもしれませんね。ちなみに沖田総司が使っていた刀は加州清光だそうです。 菊一文字レプリカ日本刀の収集家は数多く、菊一文字のレプリカも人気の商品の一つです。沖田総司が使用していたとの説から、菊一文字の人気は留まるところを知りません。なぜこんなにも人気があるのでしょうか。国宝級とまで謳われた菊一文字です。今でも日本刀の収集かにはたまらないレプリカなのでしょう。はるか昔のちょんまげの時代に、腰に刀を挿して歩くお侍さんの姿を想像すると、とてもロマンがあっていいなと思います。 株式会社菊一文字現在でもこの菊一文字の名前を受け継いでいる会社があります。刀を作ることを禁じられた明治以降に、刃物を作る会社、株式会社菊一文字として創業されました。刀匠、料理用、生花用、刃物と呼べるものはつめきりの果てまで揃っています。「菊一文字」を屋号に定め、鍛冶を象徴するクツワ印を紋に決めて商標登録されています。現在は京都の中京区三条通河原町に本店をかまえ、東京に支店を持ちます。どちらの店舗も幅広い刃物を取り扱っています。伊勢や二見に明治創業の商標の違う「菊一文字則宗」の本店と支店がありますが、こちらは則宗の直接の子孫ではなく、則宗本人か弟子の筋から分かれていった別の系列だと考えられます。かつては名刀菊一文字の名前をほしいままにしていましたが、現在でもその精神は受け継がれ、刀から姿は変わりましたが包丁やはさみや鎌などになってその名を継承され続けているのです。 スポンサードリンク
スポンサードリンク
|
|
Copyright 2007 gensijin.com All rights reserved.
|